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京都一休寺のお茶会【一休さんのシニア情報】

京都穴場観光一休寺のお茶会 月釜会

京田辺の仲間のホームページにありました。

一休寺の月釜会

一服のお抹茶を頂き、お心入れのお道具などを拝見できるのを心待ちに毎回訪れていますここでは、お席で出会うことのできたお道具などを思い出として残しています

紅葉のまだ美しい第一日曜日に行われました(12月2日)
一休寺の総門を通って進んでいくと、在釜と記された木札の下がるこの小さな門をくぐると茶室酬恩庵です

彼女に導かれて

一休寺







月釜会は要するのお茶会だと思いますが、その儀式は全く分かりません。
この機械にすこし勉強を

特に茶の里に住む私達はすこしは知らないと

一休寺月釜







待合床には、 平井楳仙画  鴨川静雪 師走の雪が鴨川に降っている様子のお軸

先ず彼女はこの掛け軸の説明をしています。

お茶会とは季節とそれにつながる掛け軸の絵など自然と一体化する場になるのでしょうか。

茶会の流れ
大勢の方が招待される茶会では、まず、薄茶、濃茶の2通りの組み合わせで、それぞれ別々の席を設けて行われます。

それプラス、点心という形で軽い食事が付くのが一般的です。懐石をいただき、濃茶、薄茶という順番で流れるのが正式ですが、大勢で催される茶会の場合は、順序通りというのは難しいようです。

一つの流れが終わったら、お客を総入れ替えするといった感じでしょうか

これだけではよく分かりませんので、明日はすこし押していただいた生地を買いたいと思います。

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京都清水人形【一休さんのシニア情報】

清水坂 清水人形高橋の干支人形

清水人形高橋の高橋の千鶴子さんの干支人形を

毎年買い求め、ついに12支すべてがそろいました。

今回は我が家にある、 干支人形のギヤラリーにご案内します。

先ず子・丑・寅
干支2.jpg

次 卯・辰・巳
干支3.jpg
午・未・申
干支4.jpg

酉・戌・亥
干支5.jpg

すごく味わいがあると思いませんか。

清水へいらっしゃったら、こんなふんわりした雰囲気味わってください。

お店から頼まれもしないのに、PRしてしまいました。

京都の清水焼:粉引茶香炉・松韻窯作


京都人の京都人推薦のお土産

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京都観光 清水坂【一休さんのシニア情報】

 清水寺参道のお店

「清水の舞台から飛び降りる」

これは覚悟をするときによく使われる、見たとおり清水は見事に大舞台があって勇壮なお寺、というより観光名所としての存在のほうが優先する。

東大路通から清水寺までの約1キロの坂道は清水坂と称され、道の両側には観光客向けのみやげ物店などが軒を連ねている。

何より、この坂を上る狭い道筋の教徒らしいお店がこのお寺のおかげで長い年月、生業をいただいていることこそ、このお寺の功徳といえます。

ほとんどこのお寺にたどり着く一等地に、私が結婚式の引き出物として作っていただいた京人形のお店があります。
高橋人形店

















京人形といっても、豪華で高いものではありませんが、なんともいえない雰囲気の小さなお人形です。

もう40年以上、このお店とのお付き合いが続いています。
もっとも、私ではなく私の奥さんが毎年何かにつけてこのお店の人形を買ってはプレゼントしています。

清水寺にお参り行ったら、是非ちょっとごらん下さい。

別に頼まれたわけではありません、

お父さんの時代から、今はご姉弟でお店おやりになっています。

特にお姉さんのお人形の大ファンなんです。

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京都観光 推理小説の舞台【一休さんのシニア情報】

京都観光 蟹満寺と山村美紗推理小説

京都観光推理小説とも言える山村美紗の「鳥獣の寺」の冒頭に山城蟹満寺が出てくる。

住職は、殺人の舞台に使われたのが不満らしい

「湯川彩子は、戦争中ソウルに住んでいた。しかし、終戦後の混乱の時に、父を何者かに殺され、母も強盗に入った3人組日本人に犯され殺されたしまった。

博多には7歳になる兄と一緒に引き上げてきたが、上陸してからはぐれてしまった。当時の様子を小説に書いたところ、大ヒットし、テレビで放映される。

すると東山と名乗る男から「ソウルで私は隣家に住んでいたが殺人者を知っている、蟹満寺であおう。」との電話。出入りの新聞記者西郷と出かけると、東山が絞殺されていた。」という出だしで始まり、事件が次々と起こりストーリーが展開していきます。

蟹満寺  蟹塚で有名    
雪舟寺  亀で有名     
竜源院  竜の絵で有名   
更雀寺  雀で有名     
高山寺  鳥獣戯画で有名  
建仁寺  イノシシで有名  

それぞれの寺の由来に関する話がちりばめられ、一面では京都名所めぐりをしているような楽しさがあります。


山村美紗さんは推理小説より、京都観光を書きたかったんだと思います。

分かりやすい京都観光案内のようで、

是非お読みになることをオススメします。

京都の田舎の本当に端にある蟹満寺にスポットを当てられたこと

いいですね。

鳥獣の寺


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京都観光 かにの恩返し【一休さんのシニア情報】

京都観光 蟹満寺縁起(えんぎ)

京都観光穴場として山城蟹満寺を有名にしているのに、「蟹満寺縁起(えんぎ)」があります。

友人で、この地に生まれ育った女性がいますが、彼女が地域の婦人会グループなどに呼びかけて【山城町民劇団α】を結成

「蟹満寺縁起(えんぎ)」の物語、かにの恩返しをシナリオから演出、役者も舞台もすべて手作りで芝居をしたのを観ました。

もう数年前になりますが、素人としてはなかなかの出来で、観客も300人以上、ほとんど地元の人でしたが観客を集めました
感動して涙を流す人などもいました。

ストーリーは鶴の恩返しと同じパターンですが

「昔、このあたりに善良で慈悲深い夫婦と一人の娘が住んでいました。その娘は幼い頃から特に慈しみ深く、常に観音経の普門品を読誦して観世音菩薩を信仰していました。
 ある日のこと、村人が蟹をたくさん捕らえて食べようとしているのにであった娘は、その蟹を買い求め、草むらへ逃がしてやりました。」

また
「ある日のこと、娘の父が田を耕していると、蛇が蛙を呑もうとしています。何とか蛙を助けてやりたい父は蛇に向かって「もしおまえがその蛙を放してやってくれたら娘を嫁にやろう」と言ったのです。すると不思議にも蛇は蛙を放し、スルスルと何処へともなく姿を消したのでした。」

次の日、衣冠装束の武士が娘を嫁にもらう約束と訪れるのですが、父親は嫁入りの支度が要ると3日の猶予を、そして約束の日武士が訪ねると、戸を閉ざし嫁入りを拒みます。

本性を現した、武士は下の蛇の姿になり暴れまくり今にもとが破られそうになります。

「娘はひたすら観音経の普門品を誦えると、観音さまが現れ「決して恐れることなかれ、汝らの娘は慈悲の心深く常に善良なおこないをされ、又我を信じて疑わず、我を念ずる観音力はことごとくこの危難を除くべし」と告げ姿を消しました。」

外の物音が消え朝になってとをあけると 、ハサミで寸々に切られた大蛇と無数の蟹の死骸が残っていた。

そんな良くあるたわいもない寓話ですが、なんとなくこのお寺の雰囲気に合います。

このお寺というよりこの集落の雰囲気に合うといったほうが性格かもしれません。

でも、約束を守らなかった親子と蛇と、この約束という点はどうなんでしょうかね。

相手が明らかに不埒なやつなら約束も反古にできる

そういう約束もあるんですね。

こんな単純な民話にも地域性があります、鶴の恩返しは身を削って布を織る、一方山城では不埒なやつを懲らしめたかに

面白いですね、あなたも一度このお寺にお出かけください。

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京都観光 かに満寺【一休さんのシニア情報】

京都観光隠れ寺 山城蟹満寺のなぞ

京都観光隠れ寺 山城蟹満寺は渡来人の影響があると、前回自己流解釈をしましたが、仏を見上げていると、私の町にある十一面観音などのように控えめで慈悲に満ちた仏より、はっきり何かを主張する東南アジア型の仏を感じます。
蟹満寺2.jpg
「蟹満寺は謎の多い寺です。例えば本尊釈迦如来像、都から離れたこの地に何故これだけ大きい立派な仏様が祀られているのでしょうか。

奈良の都から運んだ説や山城国分寺の像を移転した説などがありましたが、先年の境内発掘調査で何と90尺×60尺の白鳳時代と思われる大きなお堂らしい建物の基壇が出てきました。

その建物の位置は、今の本堂の位置を一番奥として、前と左右に広がっています。ということはその建物で仏様が祀られていたとすれば、現在本尊様のお祀りされている位置とピタリと一致することになります。

また今の寺を取り囲むように2.5町×3町の広い回廊跡が出ています。このような結果からすると、この本尊様はこの地にあった大寺院の本尊様として、最初からこの位置にお祀りされていたと考えるのが自然でしょう。

ところでこの本尊様と常に比較されるのが、これも制作年代に二説ある奈良の薬師寺本尊ですが、鋳造技法上、蟹満寺の本尊様のほうが少し古いということが判っていますから、蟹満寺の発掘調査の結果は、薬師寺本尊の制作年代の議論にまで影響を与えています。

 ますます謎が深まってきます。誰が何の目的でこの地にそんな大寺院を建てたのでしょうか。これまた歴史マニアの興味を惹かれるところです。」(http://www.anraku.or.jp/jiin7.htmより引用)

このなぞめいた文章は、いよいよ日本的解釈以外の何かを感じさせるのです。

日本人の考える目的と違った祈りがあるとも思えるのです。

要するのどこから改築されたのでなく、初めからこの場所にお寺はあった、

ではどうしてこんな訪ねにくい場所に何の目的でと疑問が続くのでしょう。

そのなぞは、あなた自身がご覧になってお答えください。

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京都観光 山城蟹満寺【一休さんのシニア情報】

京都観光南部 山城蟹満寺(かにまんじ)

京都南部山城蟹満寺(かにまんじ)は知る人ぞ知る有名なお寺です。

古美術愛好家など沢山の観光客が訪れるお寺です。

交通の便はぜんぜん良くない場所にありますが、仏様が引きつけるようです。
蟹満寺.jpg
蟹満寺(かにまんじは白鳳時代末期(680年前後)に創建されたお寺です。

本尊の国宝銅造釈迦如来坐像は、わが国の仏教美術史上最高傑作とされる奈良薬師寺金堂の薬師像に比肩しうる秀作とされています。

このように優秀な仏像でありながらもその由緒、伝来がはっきりしないため、その来歴の謎をめぐって長い間論争が繰り広げられてきましたが、平成17年の調査では、蟹満寺(かにまんじ)本尊はやはり白鳳創建以来の旧仏であったことが判明しました。

薬師寺の仏さんより古い作品です。

ご覧になると分かりますが、なんとなく朝鮮半島の渡来文化のにおいを感じます。

この地方の特徴ですが、木津川周辺の地名は「狛」(狛氏という豪族の領地)など渡来系の名前が多い土地でもあります。

恐らく文明文化に遅れていた当時の日本に、先進文化と文明を持ちこんな渡来人の姿をこのお寺に感じるのです。

木津川市山城町綺田浜36

「本堂中央に祭祀されている国宝釈迦如来像は今から一千三百年の昔白鳳時代の名作で金銅座像、八尺八寸(2m67)、重量二千貫(七屯)と称する初唐様式を直模する堂々たる尊像で、しかも殆んど完全に近い原型のまま今日にいたり薄衣を透して美の重量性を発揮した豊満な肉体を刻出して要望は荘重であり端麗である。」

との案内文ですが、京都南部の隠れ寺、京都観光穴場を一度お訪ねください。

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京都観光 浄瑠璃寺国宝

京都観光穴場 浄瑠璃寺(じょうるりじ)阿弥陀様と国宝

京都南部、奈良との県境加茂氏の里、浄瑠璃寺(じょうるりじ)

いつたずねても季節の風情がある

国宝三重塔
浄瑠璃寺2.jpg

池を中心とした浄土式庭園と、平安末期の本堂および三重塔が残り、

平安朝寺院の雰囲気を今に伝える。


堀辰雄の『浄瑠璃寺(じょうるりじ)の春』にも当寺が登場する。

堀辰雄には「風たちぬ」という小説があったが

なるほど彼が好きそうなたたずまいであります。

何度もたずねていますが、この風景を見て本堂に入って

9体の阿弥陀様に面するのは苦手です
心の底を見透かされる
何度行っても、裁判官の前で裁かれるような気持ちになります

なのに何度も訪れるなんて、馬鹿なんですね

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京都観光 加茂浄瑠璃寺【一休さんのシニア情報】

京都南部観光有名穴場 浄瑠璃寺(じょうるりじ)

京都南部観光穴場 浄瑠璃寺(じょうるりじ)の三重塔

緑深い境内には、池を中心とした浄土(じょうど)式庭園と、平安末期の本堂および三重塔が残り、平安朝寺院の雰囲気を今に伝えています。
浄瑠璃寺3.jpg

この池にたたずむだけで値打ちあり


その後本堂の阿弥陀様にご対面

心洗われる人は幸せ、私はいつもしかられてばかりです。

それくらいしかられに参ります。

馬鹿ですね

このお寺それ許してくれます。

今、ちょうどNHKで風林火山「山本勘助」やってて

長尾影虎(上杉謙信)が高野山で修行しているシーンです

妙なことに山本勘助も同じく来ています。

どっちでもいいのですが、

加茂浄瑠璃寺(じょうるりじ)9体阿弥陀様との対面

池でのたたずみ

その両方とも結構心を洗われます、

すっきりするというより、私にはきつい心の洗濯ですが・・・

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京都観光 浄瑠璃寺【一休さんのシニア情報】 

京都観光 浄瑠璃寺(じょうるりじ)

京都南部観光穴場の有名なお寺、浄瑠璃寺

浄瑠璃寺(じょうるりじ)の所在する地区は当尾の里と呼ばれ、付近には当尾石仏群と呼ばれる石仏、石塔などが点在していて、京都府に属していますが、奈良の平城京や東大寺からも近いのはこの地が奈良の都の政治文化を支えたことになるとも思います。

当麻の僧・義明上人を開基(創立者)、阿知山大夫重頼を檀那(後援者)とし、薬師如来を本尊として創建されたものであるということからやはり加茂氏の影響の強いことが感じられます。

1つの堂に9体もの阿弥陀如来像を安置するという発想は「九品往生」(くほんおうじょう)思想に由来するらしいのですが

「九品往生」(くほんおうじょう)とは「観無量寿経」に説かれる思想で、極楽往生(人が現世から阿弥陀如来のいる西方極楽浄土へと生まれ変わる)のしかたには、仏の教えを正しく守る者から、極悪人まで9つの段階ないし種類があるという考えのことなのです。

それはともかく、

この9体もの阿弥陀如来像の前に座ってただボーとしていると
浄瑠璃寺4S.jpg
やはりなんか怖いのです

魅入られる様で

心の隅までほじられるようで

でもそこから立ち去ることができませんでした

結構好きなお寺です。

あっそうでした、

先日自転車でここまで来ようとしてあきらめ

今回は車で来てしまいました

でもよかった、あのまま自転車で来ていたら帰れなかった

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京都観光 鞍馬の火祭り【一休さんのシニア情報】

京都観光  鞍馬の火祭り

京都の祭 鞍馬の火祭りは10月、火祭りのの前に

鞍馬の日帰り温泉を、ご案内します。

まずは父(義父)の絵をご覧ください。
鞍馬の火祭り 京都市2.jpg



鞍馬は京都の避暑地、義経が修行していた頃は人里は慣れた京都の孤島でした。

鞍馬神社を詣でた後、すぐ近くの温泉で一汗流したとき、本当に生き返りました。
鞍馬温泉
鞍馬温泉はここから








そして少し行くと貴船の川床料理が楽しめます。少し値段は張りますが、一日贅沢


ではのちょっとした解説

京都三大奇祭のひとつ。平安時代、平安京の北方鎮護のために御所から由岐神社の祭神を、住民が篝火を焚いて迎えたことに由来、小松明から順に始り、“サイレィ、サイリョ”の掛け声とともに大松明が若衆によって大きく振りまわされる。やがて鞍馬寺仁王門へ集結し、太鼓の合図で注連縄が切られた後、由岐神社の神輿に向かって突進。神輿は松明の明かりで坂道を下りる。

黒澤明監督で「隠し砦の3悪人」だったと思いますが、この坂下りを見事に映画に入れていた記憶があります。


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京都観光 桃山文化【一休さんのシニア情報】

京都南部観光 桃山文化の桃山城

桃山文化とは、豊臣秀吉が政権を握っていた16世紀後半から17世紀のはじめにかけて栄えていた文化のことです。

信長や秀吉が全国統一を進めたこの安土桃山時代には、支配者の権威を示す豪華で雄大な城がいくつも建築されました。

その象徴のひとつであるのが、信長が建てた安土城です。

天守閣がはじめて設けられました。

五層七階建で、木造建築としては世界最高の高さを誇り、当時の木造建築のすごい先鋭的建築でした。

今で言う、安藤忠雄などの設計だったのでしょう。

桃山文化には、社寺や城郭建築、絵画に多くの傑作を生み、茶の湯が大成されました。

豊臣秀吉が京都に建てた聚楽第には、ふすまや屏風などに豪華な障壁画が描かれ、花鳥の彫刻もほどこされました。


出雲大社の巫女の出といわれる阿国(おくに)が、京都で歌舞伎踊りをはじめたのもこの頃で大衆芸能が花開いた文化の時代でした。

ちなみに、弁当箱という道具が生まれたのもこの時代。

中国から伝わってきたものだそうですが、中国語で弁当は「便当」と書き、日本でもはじめは「便当」としていたそうです、すごく興味深いことですね。

京都人が選んだ京都のお土産、京野菜・京都のお菓子、スイーツなどなど
「京都お土産情報サイト」へもどうぞ

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一休寺庭園【一休さんのシニア情報】

日本庭園が物語る日本文化

一休寺の方丈(ほうじょう)の庭 わが町京田辺の有名な庭園、日本庭園のよさがすべてあると思います。
x.jpg
室町時代以降には、書院からゆったり眺める鑑賞式が生まれ、そこで誕生したのが「枯山水庭園」。
枯山水とは実際の水を用いずに水流や池を表すもので、白砂を水に見立て石組を主体に表現している庭、この方丈(ほうじょう)の庭もそれです。

有名な竜安寺石庭を代表にする座観の庭です。

この縁に腰掛けなんとなく庭を見ていると時間を忘れてしまいます。

日本で生まれた庭園は、ヨーロッパなどで見られる左右対称の幾何学的な庭園とは違って、

自然の姿をそのまま模倣もしくは凝縮して表現している「自然風景式庭園」といわれ、その時代に思い描いていた人間の理想郷を、自然の素材を一切加工することなく抽象的に表現した庭といわれています。


ボーとしていると、この地の名物宇治茶を住職のご家族がお持ちくださいました。

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京都畳文化【一休さんのシニア情報】

京都畳文化論 日本文化を捨てていく日本人

日本畳がない住宅が増えています

畳は権力の象徴として、貴族の邸宅で部分的に置かれるようになったそうです。
源氏物語絵巻を見ると、畳が座具・寝具を兼ね備えていたそうです。


そして室町時代になると部屋全体に畳が敷きつめられるようになり、
座具から建物の床材として浸透していったそうです。

畳は、呼吸している天然の空気清浄器のようなもの、
とにかくばたっと寝転がる、そんな楽で懐かしい敷物です

京都で畳屋さんが、畳にネクタイを締めて
畳を何とか普及して、仕事を増やしたいことが伝わりました

畳で作ったバッグ、そのまま枕になりますよ
な〜んて、一生懸命だったけど・・・

そんなんで畳普及しまへんどっせ
たたみは畳です、ネクタイでもバッグでもありまへん

日本人が愛してやまないごろ寝文化

畳、ごろ寝文化、それを日本人の心によみがえらせることのほうが大事やと思います

エアコンが生活の全部になっても

自然のエアコンとの共生を家電メーカーに働きかけて

畳と家電の組み合わせの新製品なんて生まれそうな気がします

そんな商品がヒットすると思いますよ。


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京都の伝統文化を伝えるサイト
京都の京都人だから分かる本当の京都 お土産情報サイトへもぞうど 

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京都 伏見城下町と酒【一休さんのシニア情報】

京都の清水が伏見(ふしみ)の酒を守る

伏見(ふしみ)桃山地域の町は

昔から受け継がれてきましたが、実は一躍脚光を浴びるようになったのは安土桃山時代、豊臣秀吉が天下統一を果たした頃からです。

秀吉の伏見(ふしみ)城築城とともに、その城下町として伏見(ふしみ)の町も繁栄してゆき当時経済の中心であった大坂や堺の町に並ぶ大都市となったのです。

さらに江戸時代になると、伏見(ふしみ)は酒や米の運搬、人々の交通手段にも利用されていた“三十石船”が登場してから、その利用者たちの口伝えで伏見(ふしみ)の酒はさらに広まりました。

しかし「鳥羽・伏見(ふしみ)の戦い」の余波も受け、酒蔵のほとんどが消失してしまいます。

それから、伏見(ふしみ)の酒が再び勢いを取り戻したのは明治の後期になってからでした。全国でも有数の酒どころとしてその名を知られるようになり、現在伏見(ふしみ)には20を超える酒蔵が残っています。

米が三十石積めることから、その名がついた『三十石船』、今でもこの舟に乗って伏見(ふしみ)の名所を巡ることが出来ます。


この伏見(ふしみ)の酒の神さんで、水を守っている神社が「御香宮」さんのお祭は、酒造りの若い衆が神輿かついで、にぎやかなことです。

学生時代、アルバイトで太鼓のふれをしましたが、とにかく重く、またその日は雨で20歳そこそこでしたがくたくたになって、お酒もたくさん飲んだのですが、酔いより寒さのほうがこたえて、ぶるぶる震えていたことを思い出しました。

どうでもいいことですが、このお宮さんで私は結婚式を挙げました。
宮司さんの息子が、私たちの仲間で便宜を図ってくれたおかげでした。

だからとにかく縁があり、毎年正月に、初詣に参ります
そして清水をいただき、お雑煮を炊いてお祝いをしています。



この神社の清水は、毎日沢山の人が汲みに来て「名水」の証明も今なお保ち続けています。

この界隈の京都は、宇治川から淀川へ、京都と大阪を結ぶ独特の京都です。
寺田屋の女将が出てきそうな、そんな雰囲気の狭いろうじがある界隈で、とても好きな界隈です。

今日と祇園付近からこの界隈に来ると、えっと思う京都があります


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観音さま 京田辺わが町

京田辺「十一面観音」の寺


今回は古代歴史を訪ねます。

京田辺市普賢寺にある大御堂には国宝指定の十一面観音立像が安置され、木心乾漆造の柔和なお顔に天平時代の栄華を今に伝えています。

参道には古木の桜が並び、その周辺には菜の花畑が鮮やかに色を放ち、目も覚める鮮やかな光景を描きます

京田辺という街は、北部の住宅都市化と南部の古代歴史文化の地域と二つの顔を持ちます。

d402871c.jpg   大御堂






上の写真の菜の花畑の左が大御堂観音寺、右は同志社大学体育館、

同志社と古代が混在する街です。


大御堂観音寺は今から約1,300年前、天武天皇の勅願によって義淵僧正が開基し、その後に聖武天皇の御願により良弁僧正が伽藍を増築したと伝わる。

京田辺市内で唯一、国宝に指定されている十一面観音立像を安置している事でしら
れています。
 十一面観音














「お水取り」で知られる奈良東大寺・二月堂の伝統行事・修二会で用いられる竹を、
天王地区から二月堂へ運ぶ「竹送り」の行事の際には、この寺まで竹を運び、住職
らが道中の安全祈願をします。

この十一面観音は、古美術の愛好家にはよく知られた国宝で、遠くからそういう人たちが訪れます。

ところが残念ながら、当地の人たちにはその値打ちがよく分かっていないのですが・・・

大御堂のある普賢寺 で一番はお茶です。

宇治茶の高級品、手もみの玉露は、ほとんどこの地で取れます。

私が住んでいる地ですし、もうすぐ茶摘が始まります。

その中でも全国的に有名なのが舞妓の茶

抹茶フィナンシェ6個とお茶の詰合せは最近の逸品です。地元の私がよく買うものです。

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京都南部の観光 穴場情報

京田辺観光 ずいき神輿の棚倉孫神社

京都地方に多く見られる、五穀豊穣のお祭り神輿です。

この地のずいき神輿も歴史的に古く、氏子衆の誇りになっています。
f254f31f.jpg    棚倉








本殿は桃山時代の作だといわれています。城陽などこの辺りの神社によく見られる一間社流造と呼ばれる作り方で作られています。創建当時は朱がかなり色鮮や化だったと推察。

拝殿の横にひっそりと飾ってある神輿、よく見るとびっしりと野菜で飾り付けしてあります。

秋に収穫した野菜で作り、明治時代の中ごろから作られていたようです。1929年に中断しましたが、1978年に復活し、今は一年おきに新しい神輿が作られ、隔年で10月10日に田辺の町を巡行します。


二年に一度、秋の収穫を祝って繰り出すおみこし。ズイキやナスなどの野菜や穀物を飾りに使った、色鮮やかな姿がとても印象的です。


この地、京都南部地域の山城の筍は、他地域の筍と比べられて、その風味のよさを断然評価されています。一度ご賞味を


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京都観光 南部の歴史

 京都南部の歴史

京都南部は奈良とも近く、日本の古代文化の里でもあります。

東大寺などの寺領地も多く点在して、京の都への通路でした。

自治が発達した時期
1221
承久の乱
北条泰時の軍勢、朝廷軍を宇治川で破り、入京 南山城では荘園が発達し、興福寺と石清水八幡宮との用水をめぐる争いのように、朝廷・幕府をもまきこむ大事件もおこっリマした。

こうした争いは、荘園の村落で名主層を中心とした農民の団結をうながし、山野や用水の利用を通じて惣村と呼ばれる自治村落が芽生えました。

1331
元弘の乱

南北朝時代、後醍醐天皇笠置寺(笠置町)に逃れる、足利により笠置陥落・後醍醐天皇捕らえられます


1485
山城国一揆
山城の狛氏、木津氏、田辺氏らの国人(豪族が地域の権力)が畠山の軍勢の撤兵を要求 、ある意味での合議制による自治が行われたこともあります。

応仁の乱は、再び南山城を戦場に変えたが、国人を中心に結束した人々は、軍勢を追い出し自治を行った。山城国一揆である。一揆は9年足らずで崩壊したが、守護大名の支配を退け、地元民による自治を進めた面で画期的な事件でもありました。

1493
山城国一揆崩壊 伊勢貞陸、山城守護となり鎮圧


 こうしてある種の地元民自治は終わりを告げました。

この歴史的風土は、今もなをこの地の人たちの心の中にあります。

京都人特有でしょうか、

ほかの地のように中央集権的社会が育ちにくく、

いい意味でそれぞれの意見を持つ自立した人ともいえますが、

別の意味では意見がまとまらないばらばらな印象もあります。

顔でおとなしく笑って迎え入れても、本当は拒否していると言ったような

そんな気質がこの地方にはあります。

それも無理はないのです、

あらゆる時代の権力者が、この地を戦乱に導き、

通り過ぎる(家康の逃走経路でもありました)

そして京、奈良の都の影にいつもいる存在だったからです。