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京都観光 南部の歴史

 京都南部の歴史

京都南部は奈良とも近く、日本の古代文化の里でもあります。

東大寺などの寺領地も多く点在して、京の都への通路でした。

自治が発達した時期
1221
承久の乱
北条泰時の軍勢、朝廷軍を宇治川で破り、入京 南山城では荘園が発達し、興福寺と石清水八幡宮との用水をめぐる争いのように、朝廷・幕府をもまきこむ大事件もおこっリマした。

こうした争いは、荘園の村落で名主層を中心とした農民の団結をうながし、山野や用水の利用を通じて惣村と呼ばれる自治村落が芽生えました。

1331
元弘の乱

南北朝時代、後醍醐天皇笠置寺(笠置町)に逃れる、足利により笠置陥落・後醍醐天皇捕らえられます


1485
山城国一揆
山城の狛氏、木津氏、田辺氏らの国人(豪族が地域の権力)が畠山の軍勢の撤兵を要求 、ある意味での合議制による自治が行われたこともあります。

応仁の乱は、再び南山城を戦場に変えたが、国人を中心に結束した人々は、軍勢を追い出し自治を行った。山城国一揆である。一揆は9年足らずで崩壊したが、守護大名の支配を退け、地元民による自治を進めた面で画期的な事件でもありました。

1493
山城国一揆崩壊 伊勢貞陸、山城守護となり鎮圧


 こうしてある種の地元民自治は終わりを告げました。

この歴史的風土は、今もなをこの地の人たちの心の中にあります。

京都人特有でしょうか、

ほかの地のように中央集権的社会が育ちにくく、

いい意味でそれぞれの意見を持つ自立した人ともいえますが、

別の意味では意見がまとまらないばらばらな印象もあります。

顔でおとなしく笑って迎え入れても、本当は拒否していると言ったような

そんな気質がこの地方にはあります。

それも無理はないのです、

あらゆる時代の権力者が、この地を戦乱に導き、

通り過ぎる(家康の逃走経路でもありました)

そして京、奈良の都の影にいつもいる存在だったからです。
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